感覚のインフレ

読書量で圧倒された経験

 過去の東ジャーナルでも何度か読書について取り上げましたが、筆者(山城)は昔から本が好きでした。高校時代は理系だったせいか、周りの友達より読書量は豊富で、内心では自分は読書家だと自負すらしていました。
 しかし、大学に入学して同級生たちと話をしてみると、彼らは私よりはるかに大量に本を読んでおり、その上、推理小説や歴史小説ぐらいしか読んでいなかった私と違って、様々なジャンルの本を読んでいることが分かりました。彼らと話していると、会話の中に当たり前のように「太宰治」とか「芥川龍之介」などの名前やその作品名が出てきて、そのたびにこれまで敬遠していた純文学にも挑戦してみようかなという気持ちになったものです。

感覚のインフレ

 突然こんな昔話をしてしまったのも、テレビでおなじみの予備校講師・林修さんの本を読んだからです。林修さんは、大学受験1ヶ月前の受験生に向けて、こんなことを話すそうです。

 「レベルの高い大学に行くからいい人生になるとは限りません。しかし、どの大学に入るかによって、会う人間が変わってきます。それに伴って、考えの基準が変わります。高いレベルの大学に行くと、すごく勉強していてもそれが当たり前だという人たちがたくさんいて、自分もそれに引っ張られます。つまり『感覚のインフレ』が起きるんです。ここで自分の中の基準というものが作られて、その基準で一生を過ごすことになるんです。」

 もちろん全員が大学に行くわけではないので、上の話は「大学」という部分を「環境」と置き換えてみるといいと思います。(「勉強」の部分も「仕事」など他の言葉に変えることで一般化できます)
 自分にいい刺激を与えてくれる環境を探し、その中に身を置くことで自身のレベルを上げていくことが大切なのだということです。そのためには、学校でもどこでも、自分が一番になってしまうところより、自分より優れた人間、この人はすごいなと思える人間が周りにいる環境の方がいいでしょう。

優れた人の言葉を本で補う

 林修さんの本から、私が面白いと感じた文章をいくつか抜粋してみます。

 人間の頭を鍛えるためには、分からないことを抱え続けていくということが大事なんです。僕が子供の頃、父親は僕に夏目漱石が素晴らしいと言っていました。それで、僕が中学生になって漱石を読んだら、「どうだ、分からないだろう」と言い放ったんです(笑)。実際に僕はよく分からなかったんです。だから、もう1回読み直しましたよ。でも、やはり分からなかった。高校で少し分かったような気になったんですが、大学で読み直したら、やはり分かっていないということが分かった。それで今に至るまで、何度も「吾輩は猫である」や「坊ちゃん」を読み直してきたんです。これは、とてもいい経験だったと思います。

 人間の進化の歴史は「外部化」の歴史である、と科学史の大家である村上陽一郎先生が書かれています。たとえば、自動車を発明することで、移動という行為を外部化し、電子計算機によって計算することを外部化してしまった。それはそれで素晴らしいことなんですが、問題は人間が行為をどんどん外部化していった時、そのぶん他の能力を伸ばすことにつながるのかということなんです。実際、パソコンが普及したことによって漢字が書けない人が増えている。カーナビが発達したことによって、昔ほど道を覚えなくなった。その分、他のことに頭脳を使うようになったというならいいんですが、ただ単に空洞化してしまう人が多いんじゃないでしょうか。

 林修さんは東大出身ですが、学生時代にはこんな(難しい?)話を友人とよくしていたそうです。私はもちろん彼とは知り合いでも何でもないので、会って直接話を聞くことはできません。しかし、彼の著作で読むことはできるのです。読書にはこういう効用があります。つまり、本を通して、直接会うことのできない人物の考え方に触れることができるということです。例えば夏目漱石やアインシュタインなどのように、この世にいない過去の偉人との対話すら可能になります。
 これが読書の凄いところです。
 優れた人から影響を受けることができる環境が大切だと書きましたが、実際には身近にいる人の数は限られています。本を読むことで、見ず知らずの人間や故人からも話を聞き、影響を受けることができるのです。その効果は計り知れません。昔と違って、今はネットで手軽に本を買うこともでき、電子書籍という手段もあります。たくさんの本を読んで、優れた人たちから多くのことを学びましょう。